羽釜で炊いたごはんの、
特別なおにぎり
東京で一番古いおにぎり専門店の息子として育った僕にとって、おにぎりはとても身近な存在でした。おにぎり浅草宿六は祖母が昭和29年に創業しました。そこから今の母が跡を継ぎ、今は昼間の時間を僕が、夜の時間を母が対応する形をとっています。
おにぎり屋さんの息子ですから、おにぎりばかり食べていました。小腹が減ったときも、だされるものは「おにぎり」。子どもの頃は、いつも祖母がお店の営業の合間に「塩のりおにぎり」を作ってくれたのを思い出します。羽釜で炊いたツヤツヤのお米に、塩とのりを巻いただけのシンプルでありながらおいしさが詰まったおにぎりです。具材は何もないのですが、美味しかったですね。
三浦家にはおやつの文化がなく、おにぎりがおやつの代わりといっても過言ではありません。あまりにも日常的な存在で、おにぎりに特別感を抱くことはありませんでした。運動会や遠足でおにぎりを食べるのは、普通の子には特別感はあるかもしれません。でも、僕は違う。いつものことなんですよ。唯一、ごはんでご馳走と思えるのは炊き込みごはん! なぜなら大切な商売道具である羽釜を傷めないために、炊いてくれなかったからです。今でも炊き込みごはんや炊き込みごはんおにぎりは僕にとってご馳走で、そう感じるのは子どもの頃のこうした体験からくるものだと思います。
生まれながらに染み付いてきた、
おにぎりの感覚
生まれた時からずっとプロの握ったおにぎりを食べてきたことで、おにぎりに関するすべてのことが自然と染み付いているように思えます。それは、勉強することでは決して習得できない特別な感覚だと自負しています。それはただおにぎりという料理だけではなく、商売としてのおにぎりについてもです。お金を払ってもらっておにぎりというシンプルな料理を食べてもらい、喜んでもらうにはどうしたらいいか——。店を継いだ当初は、先代の祖母や2代目の母と比べられることも多くありました。そんな中、「また、来るよ!」「がんばれよ!」と、声をかけてくださる常連さんの存在はありがたかったですね。やがて僕の味が好きだとおっしゃっていただける方も増えてきて。おにぎりは、年齢も性別も職業も関係なく、多くの方に愛される食べものです。お店に立っていると、さまざまな人と出会うことができます。おにぎりを通じて同じ時間を共有することで、日々とても刺激を受け、世界が広がっていることを感じますよ。僕にとっておにぎりは人とつながるコミュニケーションツールとも言えるかもしれません。
日々の変化を楽しみ、
真心を込めて握る
おいしいおにぎりを握るコツは、ごはんが熱いうちに握ること。ふわっとした食感に仕上げるには、手の中で熱々のごはんを優しく3回押さえる程度で十分です。おいしく食べてくださるお客様のことを考えると、熱くても我慢ができてしまうのが不思議です。お米の炊き上がりや、おにぎりの仕上がりは、温度や湿度、食材によっても変わってきます。若い頃は、その些細な違いにストレスを感じていましたが、今では日々の変化を楽しむことができるようになりました。一人ひとりの好みや、さまざまな違いを認めて、良いと思うことにポリシーをもって、真心を込めておにぎりを握りつづけていきます。